top of page

「ぐぜり」の絵画、あるいは「庭」の再構造化

吉村 真  (美術史家)

 

 ある風景のなかで「庭」と庭でない土地はどのような仕方で区別されるだろうか。当然のことながら庭は家屋に接しており、人の生活領域に属して、人の手が加えられているということもあるが、何よりも内と外を画する塀のような境界があって、その内側に単なる草地や木立にはない何らかの秩序が生成しているとき、われわれはそこを庭と認識できるだろう。無論、ここで言う秩序とは、古典的なフランス式庭園におけるような上方から俯瞰すると瞬時に把握できる幾何学的なプランを必ずしも指してはいない。庭のなかに身を置いた人が歩むにしたがって諸々の要素、頭上に垂れる木の枝とその隙間からのぞく空、足元の小径とそれに沿って咲く花、外部との境界である塀自体といった諸要素を結び合わせて生じる可変的な秩序でもある。

稲垣美侑がClear Gallery Tokyoでの個展「ぐぜり」に出品した《The Noisy Garden》をはじめとする2020年の一連のドローイング・コラージュ(《vivace》、《smorzande》、《capriccioso》)は、そのような庭をモチーフとしつつ、画面自体をひとつの庭として捉えて制作されたかのようであった[i]。水彩や色鉛筆などが用いられたそれらの作品においては、庭の情景を多重的に断片化し、再構築するプロセスが見られる。つまり、観察された庭の諸要素がまず緑や黄、赤といった色彩の細かいタイル状の四角形、ないし三角形に分解されてからグリッド状に並べて描かれ、次にそうしてできた絵がハサミでさまざまな形に切られて、画面上に余白を残しながら再配置されている。この二段階目のプロセスにおいて、画家は切り出した紙片をただ横に並べるだけではなく、ところどころ重ねたり、ときには細い紙片で下層の紙を縫ったりしてもいる。いわば、パウル・クレーが1914年にチュニジアで制作した水彩画に見られる風景の還元と、アンリ・マティス晩年の切り紙絵の手法、それに手芸的な技法が組み合わされているのだが、そのとき、画面は作家がこのような作業を進める=歩き進めるにつれて、諸要素の一時的な関係が相次いで立ち現れては束の間共存している場=庭と化しているのではないか。支持体の紙はひと回り大きい板に貼られているため、四角い画面の縁を囲うようにその板が見えており、ちょうどそれは庭の境界=枠として機能し、内部で生成する要素同士の関係を秩序づけるのに役立っていると同時に、余白に対しても働きかけて、未だない秩序をそこから引き出そうとしている。

ところで本展のタイトルである「ぐぜり」という言葉は、若鳥が「さえずり(song)」を覚える過程で発する「さえずり未満の鳴き声(subsong)」のことを意味する。人の耳にも心地よい旋律をさえずる鳥たちもはじめは親鳥や異種の鳥の鳴き方を真似しながら不器用にぐぜる。だが、この「ぐぜり」鳴きのうちには、完成したさえずりには含まれていない多様な音と、いまだ実現されざる別のさえずりの型が潜在している。それは人間の幼児における「喃語」に近いのかもしれない。生後6ヶ月から18ヶ月前後の幼児は未だ有意味な語こそは話さないものの、「声」を発することを遊びながら練習しているように見える時期を過ごす。メルロ=ポンティやヘラー=ローゼンといった哲学者は、この喃語に含まれる音韻の豊かさと、その不可避的な喪失に注目した。すなわち、喃語期の幼児は、言語というものに含まれうる音韻のおおよそすべてを発音しているのだが、やがて「言葉の連なりの飽くことない自己検証が繰り返され、ある日、ある音素的な音階が逆らいようのないかたちで現れ」[ii]る。そのとき以来、幼児は特定の母語の音韻的秩序のなかに住まうようになり、そのなかで弁別的な価値をもたない音声の差異は聴き取れなくなると同時に、多様な喃語の発音も基本的には失われてしまうのである。しかし、いったん言語を獲得すると年中喋るようになる人間と違って、一年のうちの一季節にだけ繁殖のために鳴く鳥たちの面白いところは、若鳥のみならず前年に完璧なさえずりの型を覚えた成鳥も、いったんその鳴き方を忘れてしまって、少しのあいだぐぜり鳴きするということだ。つまり、鳥たちの言語様式は直線的に発展せずに、季節がめぐる度にリセットされるであり、その際にまったく同じ様式の反復とはならないで「別の音素的な音階」へと秩序がずれる可能性がわずかながらに生じると考えられるのだ。

今回の個展のタイトルに「ぐぜり」という語が選ばれた理由は、作家自身の言葉によると、春の庭先に訪れる鳥のぐぜり鳴きを聴くと「不思議と音のひとつひとつが景色と響き合い、色の粒となって眼前に立ち現れてくる」からだ。であれば、画家は音と色が不可分に結びついた一季節に固有の感覚、あるいはその感覚が想起させる季節の記憶という、プルースト的な意味での無意志的記憶をテーマにしているのだろう。そうした側面は《ツバメのいる庭》など2021年の春に制作された新作の油彩画にうかがうことができる。だが、筆者としては上述の「庭としてのドローイング・コラージュ」に作家自身の「ぐぜり」を聴き取りたい。稲垣によれば、昨年の紙の作品群は、あえてキャンバスに油彩という使い慣れた手段を封印して制作したものだという。このことは稲垣が意識的に自らの絵画の様式をリセットしようとした、もしくは自らの制作活動の展開のなかで絵画の様式を解体して組み直すべき時期が訪れたと感じ取ったということを意味するのではないか。

稲垣の活動を振りかえれば、そこには二つの往還運動があることがわかる。ひとつは制作地ないし取材地の往還で、稲垣は普段の生活の拠点を置いている北関東の都市と家系的なルーツがある三重県の伊勢志摩地方とを行き来しながらそれぞれの風景のなかにモチーフを探してきた。もうひとつの往還は、作品のメディアに関しており、稲垣の制作においては木枠に張ったキャンバスに描いた油彩画(タブロー)がつねに軸として据えられつつも、しばしば展示空間へと作品世界を拡張していく試みが繰り返しなされてきた。2019年の三重県立美術館で開催されたグループ展「Para-Landscape “風景“をめぐる想像力の現在」における作品は、この二つの往還運動が地理的には三重へ、作品メディアのうえでは展示空間への拡張へと向かった最たる例であった。このとき、稲垣は与えられた一室の壁面にタブローを並べるのに加えて、天井から何枚ものオーガンジーの布を吊るし、床にはガラスブロックや波板といった建材と木の枝を組み合わせた建築模型風のオブジェクトを配置していた。それはさながら部屋全体を使用したインスタレーションであり、一点一点のタブローは観者の眼差しを特権的にそれに集中させるというより、周囲の絵画以外の要素とのゆるやかな関係のなかで鑑賞され、むしろ展示空間が一個の「風景」として、文字通り観者がその内部を歩きながら経験する場に変容していたと言えよう[iii]。しかしながら、あくまで画家としての自己認識をもっている稲垣が、こうしたアプローチにおいては個々の絵画が全体のなかで位置づけの不確かな一要素と化してしまっているのではないかという危惧を抱いたとしても不思議ではない。むしろ、稲垣がいま目指しているのは画面自体を観者の眼差しが歩き回ることができるように構造化することだろう。

一連の「ドローイング・コラージュ」の後に制作された油彩《ツバメのいる庭》は、主として稲垣の絵画にお馴染みの柔らかい筆触で塗り広げられた中間色の面の並置によって構築されているが、同時にところどころキャヴァスの縁や画中の形態の縁に沿ってステッチ状の破線が施されている。そこには、観者の眼差しが画面の向こう側へと容易に通り抜けてしまわないように、眼差しを留まらせておく絵画そのものの枠を確かめながら、その内側に複数の視角を重ね、縫い合わせる画家のやや不器用な手つきが認められる。個展「ぐぜり」では、これらの新作絵画がオーガンジーの垂れ布など他のオブジェクトを一切付加されることなく壁に並んでいる。それらの出発点となっているのは、いずれも北関東の自宅の庭やその近辺の風景である。とすれば、次のように言うこともできまいか。すなわち、稲垣は二重の意味で自らにとって身近な「庭」に帰って、「ぐぜり鳴く」鳥のようにぎこちなく、その「庭」がもたらす知覚と記憶を再構造する仕方を手探りしているのだと。

​-------------------------------------

 

 

[i] 稲垣自身は「ドローイング・コラージュ」というジャンル名を用いてはいない。これはあくまで本稿の論述のために筆者が便宜的に使用した名称である。

[ii] モーリス・メルロ=ポンティ「間接的言語と沈黙の声」(1960年)、粟津則夫 訳、『メルロ=ポンティ・コレクション4 間接的言語と沈黙の声』木田元 編、みすず書房、2002年、41頁、(引用文の漢字表記は一部筆者が変更している)。

[iii] 貴家映子『Para-Landscape “風景“をめぐる想像力の現在』、三重県立美術館、2019年、38頁を参照。なお本稿の論旨から外れるが、この展示での稲垣のアプローチを近年の杉戸洋、あるいは千葉正也などによる展示空間全体がインスタレーション化した絵画展示のあり方と比較し、あえて観者の集中力を絵画の外部へ分散させ、鑑賞を建築的・身体的経験へ転化させる試みとして検討することも可能である。それらはベンヤミンが述べた意味での「気散じ(distraction)」として芸術体験の創出とみなせるが、稲垣自身が気づいたように、なぜ絵画という対象を残すのか、絵画はインスタレーションの中でいかなる位置=地位を占めるのかという問いを必然的に生じさせるだろう。

​2021年6月
 

吉村真(美術史家)

1989年 京都府生まれ。2016年早稲田大学大学院文学研究科美術史学コース修士課程修了。ピエール・ボナールの研究を専門としつつ、同時代アーティストとの共同企画やトーク、テキスト執筆もおこなう。最近はピーター・ドイグ展(東京国立近代美術館)のレビュー寄稿および図録のインタビュー翻訳、またコロナ禍においてネットプリントサービスを用いて作品を配布し、「自宅のなかでの展覧会」を提案する「プロジェクト・ル・ボスケ」の企画に参加した。

bottom of page